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zoom RSS 小山冨士夫‥‥離れ技の「種子島焼」誕生秘話

<<   作成日時 : 2016/09/01 21:26   >>

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少しでも古陶磁や陶芸に関心を持つ人なら小山冨士夫の名を知らぬ人はいないだろう。
東洋陶磁学会委員長、日本工芸会理事長、日本陶磁協会常任理事などの役職のほか、出光美術館をはじめ、本間美術館、佐野美術館の理事。そして五島美術館、松永記念館、根津美術館、畠山記念館の顧問や評議員をつとめながら、世界を駆け巡り、多くの古窯址を発掘調査され、陶磁器学者の権威といわれた。
古陶磁学者の第一人者だが、日本陶芸界の発展にも尽くした。
「私はどんな人でもその人の良いところしか見ないことにしている」と気さくで誰とでも分け隔てなく接する「陶と人」を愛した巨星であった。
明治三十三年(一九〇〇)三月、父親は善太郎、母親は幾無(きむ)の七人兄弟の長男として岡山県浅口郡玉島町(現・倉敷市)に生れた。父は「岡山特産・花筵」を輸出する貿易商、祖父はギリシャ正教徒である。
プロテスタントと敬虔なキリスト教徒であった父・善太郎は病気になり、指圧で快復すると本業を捨て指圧師になった。そんな父が富士登山した後に生まれたので「冨士夫」と命名された。ちなみに弟・濠一はオーストラリヤに旅行中に生れたという。
画像種子島銅鑼鉢

陶芸家として専念されたのは鎌倉二階堂の自宅に「永福窯」を築いた昭和41年の66歳のときだった。

昭和44年、台湾の故宮博物院に招かれて、「日本にある中国陶磁」について講演することとなった小山は、その途中、沖縄那覇の「壺屋やむちん」の里に立ち寄り、初めて沖縄で作陶されている。
壺屋には釉薬の掛かった上焼(ジョーヤチ)と無釉焼締の「荒焼」(アラヤチ)とがあったが、赤い南蛮風の荒焼に惚れ込み、新垣栄用窯で作陶された。
その翌年のこと、偶然にも種子島の職員から「種子島にあった能野焼(よきのやき)の再興に協力してほしい」と要請があった。
能野焼は江戸末期から明治の中ごろまで数十年間、擂鉢や甕、片口など生活雑器を焼いていた窯である。それらは土灰釉が施されていたが、首里での荒焼を思い出した小山は、「無釉の焼締で良かったら、やってみたい」と返事されると、「先生にお任せします」との返事を得たので引き受けることになった。
壺屋陶工の家画像(東ヌ窯)

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種子島茶碗

昭和46年、種子島に出向き、能野焼古窯址付近にあった12種類の土を採集して、鎌倉の永福窯で試験焼され、その中から田土を選んだ。土の耐火度は低いが、きめ細かな土が気に入られたのだ。
丹波画像蛇窯

丹波の窯を参考にして間仕切りのない蛇窯を西ノ表市で築窯することにされたのである。
再度、台湾に渡り蒋介石と会見したり、故宮博物院で講演をするなど小山自身は仕事が忙しかったので、
中里無庵の五男・隆を呼んで協力させた。
昼は窯を造り、夜は轆轤を廻して、蛇窯で焼く、新たな「種子島焼」を誕生させたのある。
種子島の土は水に強いので、燃えたぎる薪窯の脇に水を撒くという離れ業をされた。
焼締陶の硬さを嫌った小山冨士夫が考えた焼成法で焼き上がりを柔らくしたのだ。

画像画像
茶を点てた種子島茶碗  高台と刻銘「古」


通称、五斗薪街道といわれる土岐市の泉より大萱付近までは桃山時代に稼動した古窯址の宝庫である。
五斗薪峠近くの大きな花の木(楓科)のある静かな山間に昭和四十七年十一月、塚本快示の働きにより、「五斗薪に陶芸村をつくろう」という土岐市に目玉として招かれた。
ここに種子島焼とほぼ同形式の穴窯を開窯し、翌年五月、初窯を焼いた。
窯床に二、三十センチほど川砂を敷き、その下に針の穴ほどの穴をあけたパイプを入れて、窯の床から水が噴出すようにした。このような特殊な窯を築窯したのは、種子島時代の昭和四十七年、カメラマンが窯焚の写真を撮りに来るというのに、「台風のため飛行機が飛ばず、船も接岸できないそのため鹿児島に戻って明日にならないと行けない」という連絡が入った。
通常ならその日の夜、火を止める予定であった。火を止めようか迷ったが、中里隆は来るまでもたせようと思い、窯の温度が上がらないようにするため、ビニールの袋に水を入れてから窯の中に投げ入れたり、窯に水を掛けたり、薪をくべて、また水を掛けたりして長引かせた。千二百度以下を保った。
この時、窯出しされた作品が柔らかい土味で窯変も今までにない面白い焼だったことから、花の木窯でこれを応用して築窯した。
「一見備前と似てはいるが、備前の土味より柔らかくて変化が出やすい」と花の木窯の小山は窯詰の時、赤貝を撒いたりして赤、黒、灰、黄というさまざまな変化を出してご満悦だった。自宅の二階に小さな資料室を設けての陶芸三昧であった。

画像種子島茶碗

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魯卿あん 棚(小山冨士夫作品)
上 段:柿 花入     色絵 酒觴     伊賀 小壺
中段上: 種子島茶碗        茶碗「冨士」
中段下: 絵唐津茶碗      色絵茶碗「花」
下 段:色絵酒觴 信楽徳利  備前緋襷四方平鉢


心のままに種子島の田土を操り、回転の早い轆轤で、「轆轤は弄くりだすとだらしのない作品になってしまう」と、決して土に逆らわず、一気加勢に挽きあげ、柿の蔕茶碗のような広がりが明快な個性となった。
翌日、高台も一気に削る。「撥高台」といわれる独特の高台が種子島の土に映える。


魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地
 魯卿あん‥‥Rokeian画像定休日:日曜日・祝日
『魯卿あん』では、小山冨士夫先生などのお茶碗でお薄をお点てしております。

〒104-0031 東京都中央区京橋2-9-9    TEL: 03-6228-7704 FAX: 03-6228-7704
営業時間:11:00〜18:00
 Email:rokeian-kuroda@jupiter.ocn.ne.jp


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 辻岡正美様 撮影



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