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zoom RSS 1929年の魯山人‥‥金澤美術倶楽部個展

<<   作成日時 : 2016/10/25 21:26   >>

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昭和四年(1929)はウオール街の株価大暴落で世界大恐慌が勃発し、各地で労働争議が激しかった年。
日本では文化財の保存と活用を目的とした「国宝保存法」が施行され、宝物類3705件、建造物845件が国宝に指定されている。また大阪では日本初のターミナルデパート・阪急百貨店が開店し、東京上野では関東大震災で焼けた跡地に、地上8階、地下1階のルネサンス様式として新装開店、13万人もの人々が殺到したと伝えられている。

この昭和四年、魯山人は四月だけで北陸方面で五回という個展を精力的に行った。
会場は大正二年から四年までの食客時代に多くのことを学んだ長浜から金沢へとたどった逆コースだが、無名だった魯山人の天分を開花させてくれた細野燕臺や窪田朴了、河路豊吉らと旧交を温め、また恩返しも兼ねての開催となった。
皮切りは「魯山人藝術」最大の理解者・細野燕臺の食客となった金沢である。
百万石の城下町として栄えたこの町は、今も古い伝統が残っており、明治維新では官軍にも徳川方にもつかず、中立を貫いた。維新に大きな功績もなく、爵位も公爵ではなく一ランク下の侯爵だった。しかし維新後も資産があった金沢は古美術品が東京、大阪に次ぐといわれてきた。じっさい茶人や数寄者も多く、尾張町の銘菓「長生殿」で知られる森下八左衛門、そして細野燕臺が双璧だといわれていた。
画像細野燕臺

燕臺(細野申三)は金沢を代表する作家である泉鏡花や徳田秋声とは幼馴染み、セメント業と清国磁器雑貨商「細野屋」を経営する実業家の傍ら、陽明学の大家で、中国の軟文学『金瓶梅』をはじめ、漢詩文をわが国に普及させた漢学者でもある。室生犀星も金沢生まれで最初、「室生犀西」と名のったが、明治39年、燕臺が「西より星の方がええ」というと、犀川の風情や自然を愛していた犀星は「室生犀星」と名のるようになった。燕臺は「何でもわしの言う通りするやっちゃ」と、室生犀星の人気が高まるたびに言っていた。

金沢にはそれまで百軒ほどの美術商が2つの派閥に分かれて勢力争いをしていたが、燕台の口利きで和解し、大正七年に全国で5番目の美術倶楽部誕生となったといわれ、初代理事長もつとめ、六年間役員を務めた。近江町市場の近くにある美術倶楽部には燕臺の扁額「以美益天下」(美を以って天下を益す)が掲げられた。

その金沢美術倶楽部で「星岡窯魯山人陶瓷器展観」が開催された。細野燕臺をはじめとし石黒伝六、泉谷繁一、太田多吉、田守太兵衛、中宮茂吉、山脇雄吉、丸岡與三次、越澤太助、青木外吉、粟田天、柴田理吉らが発起賛成者として名を連ね、当時としては豪華な図録を作っての開催だった。
四月九日の大阪朝日新聞には「北大路氏の 陶磁器作品展」という見出しで、万暦赤絵風蓮池水禽文壺の写真とともに掲載されている。
金澤市における好事家の發起で九十の両日毎日午前九時から午後六時まで、同市近江町金澤美術倶楽部において鎌倉、星ヶ岡窯主北大路魯卿氏は陶磁器作品展覧會を開催、作品は染付、信樂、磁、刷毛目、繪瀬戸、赤繪、乾山その他古昔大家の様式を踏んだ新製品で充たされ何れも自己の藝術三昧境からの新産品で、中には放膽にして魯山人獨自のものがあるかと思えば、また澁味なるもの柔か味に富めるものなど九谷の本塲加賀の陶藝界には一段の清涼味を投げるであろう
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『万暦赤絵風蓮池水禽文壺』(図録より)


図録の表紙には、星岡窯で焼かれた鶏龍山土の「彫三島風茶碗」(径19.6 高8.3cm)が載せられた。
この茶碗は朝鮮に胎土釉薬の原料を得て後の初試験として焼いたものである。ゆへに原料はすべて朝鮮に求めた。‥‥」 (魯山人作陶百影解説 第一輯)
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金澤美術倶楽部「魯山人陶磁器展觀図録」表紙

  
鶏龍山古窯址発掘で得た粘土の感触に興奮が冷めやらぬ魯山人は夢中で轆轤に立ち向かい、鶏龍山の良さを映しとったに違いない。土の仕事を楽しむモノつくりの原点を大切に、ゆったりとした轆轤目、井戸茶碗にみるような竹節の高台削りに加えて篆刻の名作を世に送り続けてきた作者ならでは彫三島の迫力と息を止めて唸りながら一気の刷毛目など、観る者を圧倒する凄みがみてとれる。
鶏龍山作品にはみられぬ茶碗だが、古作に倣いながらも古作をも凌ぐかのような迫力ある魯山人46歳の作だ。
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彫三島風茶碗の見込


彫三島といわれる技法だが、土台となる高台に凄みをも与えたこの茶碗は完璧に鶏龍山の良さを映しとった。
表紙から裏面には彫三島茶盌の見込がわかる写真。
そのほか信楽花瓶(切立矢筈口で高20cm)、万暦赤繪寫し花瓶(高サ一尺二寸)、染付魚中鉢、染付文字火入、刷毛目茶盌、三島寫し茶盌、染付水指(波に魚)、染付アミ向付(五人)、染付鯰向付(五人)、ほかに刷毛目、粉吹手、黄瀬戸、彫三島、三しま寫し、刷毛目などの各種酒盃が載っている。

翌年(昭和五年)の10月、魯山人はこの度の「星岡窯魯山人陶瓷器展観」のお礼も兼ねて金沢美術倶楽部の幹部を星岡茶寮へ招待した。広丈の床に、縁故深い前田公の扁額を掛け、走りのカラスミ、銀杏、スッポン、鮪のトロや更科蕎麦を供している。

魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地
 魯卿あん‥‥Rokeian画像定休日:日曜日・祝日


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 辻岡正美様 撮影



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