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zoom RSS 現代備前の礎を築いた陶芸家たち

<<   作成日時 : 2017/02/23 22:42   >>

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旧山陽道沿いに発展した備前の街を、はじめて訪ねた昭和42年の冬のことで、もう50年前になる。
煙突や松割木の山が妙に目立ったものの、伊部の街はひっそりとしたやきものの里にみえた。
この伊部の小さな街をくまなく巡っても窯元の数は二、三十軒ほどで、陶工たちは寒さにて耐えながら土を足で踏んで粘土をこさえ、薪を割っていた。

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備前の街に佇む古備前の大甕


経済復興の波に乗って、昭和47年には東京と岡山間を新幹線が開通し、施釉陶だけでなく焼締陶の備前焼にもブームが到来し、赤煉瓦造りの煙突が雨後の竹の子のようにふえてきた。
無釉焼締の素朴な備前焼が忘れかけていた枯淡を愛する人々の琴線に触れたからであろうか。
土管や耐火煉瓦の製造を余儀なくされ苦難の道を歩んでいた備前焼を破格ある芸術作品に引き上げたのは、備前焼中興の祖・金重陶陽であった。その陶陽なくして現代の備前を語ることはできないが、今一人、現代備前焼に貢献した芸術家が北大路魯山人であった。

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北大路魯山人作 備前四方鉢揃


美に対してあくなき探求心と温故知新の精神で人の心を打ち、気品ある芸術作品を生み出していた魯山人は、
「無釉の陶器のなかで群を抜いて備前は美しいね。何といっても土そのものに変化があり、味わいがある。土と火との微妙な関連によって渋い奥行きのある色が出るなど世界に類をみないよ」
と昭和27年にイサム・ノグチを連れて備前へやってきた。これを知った備前の陶芸家の多くが陶陽窯に集まってきた。金重七郎左衛門(素山)、藤原啓、藤原建、山本陶秀、藤田龍峰、各見政峯、中村六郎などである。
「今日、伊部の街を歩いてみて感じたのだが、君たちは伝統のなかに居眠りをしているのではないかな。こんなに良い土があるのに、水簸するなどもったいないことだ、もっと大胆に力強く楽しんで作らなければ」
と備前焼の行く末を心配した魯山人は、
「君たちに素人でもできる平鉢の作り方を教えるよ」
と箆などの道具を使わず「ヒョイ、ヒョイ」と掌だけで平鉢を作ってみせた。桃山時代の侘・寂をとり戻す備前の土味を活かす作り方を教えたことで、皆感動し、その後の備前焼は大きな変貌を遂げたのはいうまでもない。

陶陽に続いて四十二歳から陶芸の道に入った藤原啓が単純明快というおおらかな作風で詩情ゆたかな備前焼を創作。茶入など端正な造形で轆轤の達人といわれた山本陶秀。
備前焼を世界的に広めた藤原雄は「壺の雄」といわれるなど次々に人間国宝を生んだのである。多くの窯業地を尻目に一つのジャンルでの稀なる快挙だった。
さらに陶陽の弟で電気窯での緋襷の焼成と茶碗つくりに生涯をかけた金重素山。
陶陽の長男で土のよさを最大限に生かし備前のもつ素朴さを彫刻の感覚で挑んだ金重道明。
登窯を最初から赤松で焚き上げて窯変の美しさを出した中村六郎は「酒器の六郎」と興趣が尽きない備前焼の魅力を与えてくれた。

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森陶岳作 備前平皿に盛ってみた


また魯山人の備前窯の築窯を助けて焼成し、備前の原点をみつめなおして豊かな造形力をもった藤原建や、古備前の技法復活に大窯に挑んだ森陶岳などの努力で平成10年ころ備前焼ブームの頂点を迎えた。備前焼陶芸家は600名を数えて、登窯の煙突からは絶えず煙が上がっていた。これら現代備前の礎となった先人たちの功績や伝統を踏まえて、これから備前焼に挑む若き作家は「新しき備前焼」を創造し、多くの備前焼愛好家に応えてほしいと思っている。      
― 別冊炎芸術「備前」(2017/2/20発行) 寄稿文より ―  


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辻岡正美様 撮影




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