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zoom RSS 藤原啓  ‥‥ 陶酔 無心 夢

<<   作成日時 : 2017/03/04 16:10   >>

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藤原啓画像ぐい呑と徳利

JR赤穂線伊里駅の近くの工房から瀬戸内海の片上湾が臨める陶芸家として絶好の地へ‥‥
ここに藤原啓親子が窯や工房を新設された50年ほど前、まだ新築の香りが残る真新しい和室に通された。
私は床の間の棚に飾ってある片口鉢が気になった。
どっしりとした高台から穏やかに立ち上がり、厚みが一cmほどある口縁には溝がめぐらされた啓独特の作り。全体に淡いカセ胡麻が掛かり、腰と見込に目が覚めるような緋牡丹があった。それまでの固い備前焼の観念を覆す穏やかな創りと優しさを感じとった。
そんな私を見て、「ええ、焼けじゃろ‥‥これが『赤窯変』じゃ。‥‥狙っておるが、なかなか取れん」。
この時、『赤窯変』とは造語なのだろうか、初めて聞いた。
藤原啓画像大徳利
千鳥が天に舞うように自身のサインが彫られている。 


魯山人はイサム・ノグチを連れて備前にきた昭和27年、陶陽窯へ集まってきた多くの陶芸家の前で、
「古備前は無釉の陶器のなかで群を抜いて美しいね。…なのに、伊部の街を歩いてみて感じたのだが、君たちは伝統のなかに居眠りをしているのではないかな。‥‥こんなに良い土があるのに、もったいないことだ」

といい、土を菊練しながら、「君たちに素人でもできるいい方法を教えるよ」と、その土の塊を掌でとんとんと叩き広げて、
「この日本一の陶土を活かすには、ざっくり作った陶板が一番だ」
と箆などの道具を一切使わず手早く四方平鉢を仕上げた。
魯山人画像四方平鉢

その後の備前では器を好んで作るようになり、なんと藤原啓は一窯、器ばかり窯詰して焼かれた。
これが縁で昭和29年(1954)、魯山人の斡旋で日本橋高島屋にて個展を開催するなど交流を深め、備前土を魯山人窯に送ったり、啓作品を啓窯で焼成するなどした。

画像
北大路魯山人 備前花入(赤窯変 焼成:藤原啓)


「陶芸家はやきものだけわかっていてもだめ。絵画も彫刻も音楽もわからなければ真の芸術家にはなれない」
と、弟子や若い陶工たちをつかまえては教えていた。
昭和四十五年、国の重要無形文化財(通称:人間国宝)の認定を受けられたので、お祝いに伺った時、
とても上機嫌で迎えてくれて、ご相伴に預かった。

藤原啓画像別冊炎芸術「備前」より


奥様が私にも先生作のぐい呑を用意されたのだが、先生の使っているぐい呑が気になった。
「そのぐい呑いいですね。見せて下さい」とお願いした。
「見せるだけじゃよ」
と笑いながら手渡された。大きめだが炎のいたずらで沓型に歪んでいるが握ると手に吸いついた。
カセ胡麻のすばらしい出来ばえ。しばし眺めている私に
「わしゃ、カセ胡麻ぐい呑が一番好きじゃ。‥‥ぐい呑は器の中に世界があってな。見込は美しくなくてはいかん。汚いのは呑む気がせん。そのぐい呑は最近の窯ではピカイチじゃから気に入って使っとる。‥‥わしの大事にしていたぐい呑じゃ。箱書を見てみい」。
そこには“私のハーフベター 啓”と書かれていた。
なるほど、小さなぐい呑一つでも大事に作られる小山冨士夫と気が合うのだなとおもった。
小山冨士夫と同じ左翼運動に走ったことや古備前のことなど話しながら、
「宗麿、豊蔵、半泥子などを紹介された。何よりも自分の特性や個性を見抜いて、一人前の陶工として育ててくれたのは小山先生だ。焼ものは単に道具としての美しさだけでなく、絵画、彫刻に決して負けないだけの魅力ものだと教えられた」
と語られた。
藤原啓画像


人の物真似を嫌って素人作家の延長として陶芸を楽しみ、穏やかさが漂う牧歌的な作品の創作に意欲を燃やした。小柄だが腕力が人並み以上に強く厚作の大壺を一気に挽あげることもでき、新宮殿に一対の擂座壷を納めている。
古備前の鎌倉、室町期の農民的な奔放さに魅せられ、荒川豊藏との交流から志野のような温かみを、堅くなりがちな備前の土に活かせたらと土味、成形、焼成方法を研究したのである。

 ― 別冊炎芸術「備前」(2017/2/20発行) 寄稿文より ―


画像酒器


「いのちがけで社会主義運動に走ったこともあった。無一文になって、寒い冬の日、夜空の星を眺めながら泣いたこともあった。下手な小説や詩を書き、帝劇でその他大勢の一人として舞台に立った時もあった」

という藤原啓は和の祖父である。積極的でロマンチストな青年であった啓は小説や詩集を出版し、絵を描き、バイオリンを弾き、多くの人々と交遊を持ったが、志半ばで、極度の神経衰弱になり、これらすべてのことを断念し、三十八歳で郷里の備前市に帰ることになった。
そして正宗白鳥の弟で万葉学者の正宗敦夫の勧めで備前焼の道に入っていく。柔らかで弾力のある備前の土の感触に安らぎを覚え、創作意欲をかきたてられ、希望がもてるように思えた。啓が陶芸家として初窯を焚いたのは四十一歳の時である。
「陶酔」 「豪放」 「無心」 「夢」……啓の好きな言葉だった。
素人作家の延長として陶芸を楽しんだ啓はあくまでも単純で牧歌的、おおらかで独特な新感覚の作品を確立し、日本陶芸界に強烈な影響を与えた。

画像

昭和五十一年、喜寿を迎えた藤原啓は備前市から名誉市民の称号をうけた。
この記念すべき年に、財団法人藤原啓記念館が設立され、藤原啓の代表作品、および影響を受けた古備前を展示・一般公開している。
しかし、昭和五十七年九月、右足切断の大手術後、翌昭和五十八年十一月、八十四歳で波乱万丈の生涯を閉じた。

 
魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地
 魯卿あん‥‥Rokeian
〒104-0031 東京都中央区京橋2-9-9    TEL: 03-6228-7704 FAX: 03-6228-7704
営業時間:11:00〜18:00
 Email:rokeian-kuroda@jupiter.ocn.ne.jp
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画像
辻岡正美様の撮影



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