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zoom RSS 天目茶碗は北宋の徽宗皇帝によって‥‥木村盛康「傘寿」

<<   作成日時 : 2017/05/27 23:26   >>

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なぜ、「建窯」は天目茶碗の故郷なのでしょう‥‥
中国福建省建陽県水吉鎮周辺にある水吉窯・芦花坪窯・大路后門山窯・長乾窯・源頭坑窯・牛皮崙窯跡などが建窯の総称でその総面積は12万平方メートルという広大さの中に百を越える巨大な龍窯がありました。
なかでも大路后門山窯の龍窯は135,6メートルという長大なものでした。ここにはほかに晩唐、五代に使われた青磁窯2基、元代の青白磁窯1基が確認されています。
8年ほど前に訪ねた時にはそれを物語るように天目の陶片の他に青磁の陶片も見つけることができました。また同安窯で焼かれたような「珠光青磁茶碗」を思わすような猫描き手の陶片もありました。

遇林亭古窯址画像龍窯



青磁を焼いていた窯が黒釉の天目茶碗を焼くようになったのは、五代から宋代にかけて興った抹茶(碾茶)の流行でした。
それまで喫茶用の茶碗として使われていたのは越州窯で8世紀の唐代から焼かれた『青磁』と刑州窯で焼かれた『白磁』が主流で、透明の茶には「青磁や白磁」の碗が美味しそうにみえて似合ったからでしょう。
宋代になると上流階層では泡立った不透明な緑の抹茶をきわだだせるために黒釉の『天目茶碗』が流行してきました。手にもっても天目茶碗は熱くならないなどと歓迎されたのです。
奨励したのが北宋の第8代皇帝の徽宗です。
「美味なるモノ、美しいもの」を大切に風雅の道を説いた文人皇帝。茶が美しく映える天目の「兎毫盞」(禾目天目)を愛しました徽宗が著した『大観茶論』には、「盞色貴青黒、玉毫条達物為上」とあり、
黒青釉に兎の毛のような玉毫がはっきりとしている建窯の禾目天目を好んで使用され、その作品には「供御」「進盞」などと銘の入った墊圏(テンケン・焼成時製品を匣鉢の底に入れるハマ)を用いて、高台の内側に印刻させました。


宋代禾目天目茶碗画像供御


「白茶はそれ自身が一種の種類で、普通の茶と同じものではない。枝は張って開いており、葉は光沢が有って薄い。 崖林の間に偶然生え出すので、人力で作り出すことは出来ない。正焙(現在の福建省建甌県の北苑)でこの種を持っている家は四五軒に過ぎず、それも芽が出るのは一二株に過ぎないので、製造できるのは二三(固形茶の総称)にすぎない。」とあり、福建省建甌市の東部鳳凰山一帯にある建州北苑貢茶が、建盞とともに貢納されたようです。
南宋以後は、武夷山の岩に張り付くように育つ「大紅袍茶」などの帝室用御茶園の茶が、貢納されました。
茶の高く静かな韻致は騒乱の時世には高尚され得べくもない」、茶は「盛世の清き好尚」と、徽宗は断言しており、人々の心が安定し、喫茶を楽しめる社会作りを皇帝が目指し、実践しています。
中国の建窯研究者は、「建窯では田土が使われた」といいますが、その自然界から生まれた鉄分の多い土が胎土として使われ、輝緑凝灰岩など複雑に酸化金属が混じりあった岩石から生まれた釉薬を施釉しているようです。
輝緑凝灰岩(schalstein)は中・古生代の火山活動に伴い、細かい火山灰が固まった塊状のもので、やや変質した鉱物を多く含んでいます。
これを砕いて施釉してから漏斗のような円錐形の匣鉢につめて重ね、間仕切りのない巨大な半地下式龍窯で薪を燃料にして焼いたと考えられます。
北宋から南宋代にかけて禾目天目、油滴天目、曜変天目を焼いたとされる建窯‥‥その龍窯の数は百を越え、それらの窯址の物原には匣鉢と建盞の陶片が大量に転がっています。

大路后門古窯址画像全長135.6m
 

中国明代の文献に「滴珠」と称されているのは「油滴天目」。そのうちの六点ほどの秀品が日本に伝っています。
とくに旧安宅コレクションの「油滴天目茶碗」(国宝)は素晴しい銀色の星紋が密集しており、古来より油滴天目中最高のものとされ、関白秀次が所持していたと伝えられています。
この油滴天目茶碗に魅せられた木村盛康先生は昭和29年から、京都山科の陶房に籠っての「天目一筋」。
先日、「傘寿記念の個展を難波高島屋で開催されたばかりです。
60年間、奥深い天目の世界を追及されていますが、宋代に焼かれた天目を再現することだけでなく、より深遠な天目釉の可能性を求めて独自の「創作天目」の道を選びました。

天目茶碗画像」(SOLA)


野山を歩き天目釉の原料になる鉱物質の岩石を探しに出かけて、窯を焚く度に多くのテストピースを入れて試験焼されました。その自然界の力を知り、改めて、天目の崇高さ、釉の深さを知ることになりました。


独自の天目釉の調合には灰を一切使わず、機械によらず、鉄鉢と鉄棒にて手で時間を掛けて鉱石を粉砕することにこだわっています。それらを60メッシュの篩にかけて釉をつくります。
やわらかい土味を求めていますが、それは低い温度ものものでなく、1300度という高温で焼成して釉を溶かして深味をだすことを心がけているのです。幾多の試験焼を経て、「心の中で釉薬の調合をシュミレーションして創りだす」、まさに新しき神秘な世界へ意欲を燃やし、昭和53年の春には、漆黒の地に銀色に輝く松の樹皮を思わせる「松樹天目」を発表されて、その完成度に驚いたのものです。

画像画像
天目「天都」茶盌


宋代・建窯で焼かれた油滴天目はいわば「点」の結晶。そして禾目天目は「縦の線」の結晶であり、天目の多くが、粒や球形で結晶するのに対し、この松樹天目は漆黒の地に銀色に輝き、複雑に線状に編みめぐらされた窯変結晶で、まさに松樹を思わせる独創的な天目でした。
今回の傘寿展にも新作の茶碗『天都』を誕生させていますが、「再度、狙ってもとれにくい天目だ」といわれます。

禾目碧天目水指画像(天都茶碗と共に会場で撮影)


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盛康先生と「傘寿展」会場で


素地と釉薬の調和がとれ、紫紅天目、萌黄天目、京紫天目、窯変天目、樹海天目、京嘩天目、華炎天目、禾目碧天目、耀黄天目、極天、天目宙、アンドロメダ、赫天目別雷、天目小宇宙、天空、天目黄山、天目極星、天目禊など次から次へと千変万化の天目を誕生させたのです。

展示会場画像傘寿展


永年ひたむきに精進され、頑固で一途な天目への追及が存在感にあふれた煌く作品を創りだせたのでしょう。
盛康先生の創作天目は海外でも大評判‥‥。
 中国古陶磁の宝庫・台湾国立故宮博物院に『松樹天目壺』を永久保存されてから、ボストン美術館には『禾目曜変碧天目茶碗』、ダラス美術館は『華炎天目茶碗』、ヒューストン美術館には『禾目壁天目茶碗』、大英博物館に『華炎天目大鉢・松樹天目茶碗』、ハーバード大学美術館『耀変天目茶碗』、伊勢神宮『天目宙・禾目碧天目茶盌』、ピーボディエセックス博物館に『天目宙茶盌・松樹天目壷・極天柿文壷』、ピーボディエセックス博物館に『天目宙茶盌・松樹天目・極天柿文壷』、ボストン美術館『松樹天目切高台茶盌』、フロリダ国際大学美術館『松樹天目壷・華炎天目器』、フロリダ国際大学美術館『天空方壷・天空金彩文大皿・極天方壷』、京都迎賓館『天空大鉢・天空花入』、関西大学博物館『天空大皿・華炎天目柿文大鉢・禾目碧天目方壷・天目宙茶盌・天目アンドロメダ茶盌』、伊勢神宮徴古館『天空茶盌・天空大壺・天目アンドロメダ茶盌』、テーラー美術館『天空方壷・天目宙茶盌・禾目碧天目茶盌』、上賀茂神社『天目宙大鉢・赫天目別雷大皿』、そして京都大学には『天目アンドロメダ茶盌・天目宙茶盌・禾目碧天目水指・極天方壷・天空大鉢』ほかなどに所蔵されているのです。

小宇宙扁壺画像傘寿展出品作

赫天目別雷大鉢画像傘寿展出品作


荒天の波涛を経験された盛康先生は、なにより心の研磨を大切にされ、その一途な作陶姿勢が、他に類のない深く豊かな天目釉の結晶をもたらしたのです。その作品は盛康先生を代弁する如くに、品格と格調を具現されております。
これからもお体を御大切にされ、私たちを虜にするような創作天目茶碗を創られることを楽しみにしております。

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傘寿展会場入口



魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地
 魯卿あん‥‥Rokeian
〒104-0031 東京都中央区京橋2-9-9    TEL: 03-6228-7704 FAX: 03-6228-7704
営業時間:11:00〜18:00
 Email:rokeian-kuroda@jupiter.ocn.ne.jp

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  辻岡正美様の撮影




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