『巨匠の高麗茶碗』‥‥炎芸術別冊 高麗茶碗

巨匠の高麗茶碗明治時代、文明開花の名のもとに押し寄せた西欧様式やオートメーションなどの新しい技術や機械の導入が、古き良きものを捨ててしまう新しい価値観を生み、わが国の「侘・寂」という独特の美意識が無視されてきた。李朝代に焼かれた高麗茶碗も日本の一部の数寄者だけがその良さを理解しるにとどまっていた。ようやく桃山復興や高麗茶碗の再現が叫ばれ…
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十三代三輪休雪襲名 雪嶺展

既知の陶芸の枠を超越した巨大なオブジェを構築され、近年では「エル キャピタン」という大自然からの圧倒的な存在感をイメージされた茶陶を創られて、私たちを掌の世界でも魅了してくれる和彦先生が三輪家の十三代目休雪を継がれ、とてもうれしく心よりお祝い申しあげます。 ※これを記念して、東京日本橋、京都、大阪、名古屋の高島屋各店にて「十三…
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曜変天目‥‥その真に大接近

曜変天目は「ヨウヘン」、「容変」、「耀変」、「影星」などといわれてきた。 『東山御物』にある美の中でも茶碗の王座を占めていた曜変天目は、天空の神秘さを思わせ珍重されている。 現在、その国宝『曜変天目』の三碗が、MIHO MUSEUM、静嘉堂文庫美術館、奈良国立博物館で同時期に公開という千載一遇のとき、第二回「曜変天目 瀬戸毅己展」の…
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曜変天目の茶碗や酒盃

曜変天目2019.5瀬戸毅己 曜変天目は生産地の中国において、これまで文献上の記述もなく、現物はおろか、陶片ですら見つかっていない状態であったが、2009年末に杭州市内の工事現場から曜変天目の陶片が発見された.。 曜変天目の出土場所は、南宋の都がおかれていたかつての宮廷の迎賓館のような所だった。(2012年5月に中国の杭州南宋官窯博…
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唐津 丸田宗彦2019

肥前武雄の丘に佇む丸田宗彦邸‥‥ ここ唐津古窯址の郷に、登窯と新居を設営したのは三十年以上も前のことになる。 五風十雨の時を経た名庭を見るような木漏れ日の差し込む路地に一歩踏み入れると、踏石と苔の対比が茶趣を湛えて迎えてくれる。 陶芸家には抜群の環境の中、唐津では珍しい穴窯、そして伝統の登窯で焚き続けてこられ、 桃山時代から続く…
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唐津 田中佐次郎…心豊かな人間性も投入

なだらかに起臥している山脈(やまなみ)と鏡のようにおだやかな玄海の潮(うしお)が望める海抜700メートル山頂の山瀬‥‥ この自然風光を独り占めにする陶匠は、陶も禅も掌中の珠だと諦観する禅者の境涯を持っている。 それは世俗的な名利に囚われず、枯淡の域に徹底しているからだろう。 唐津石はぜ茶盌銘「朝まだき」  唐津の常…
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やきものに捧げて‥‥しぶや黒田陶苑50周年記念「小山冨士夫展」

五十周年ご挨拶 思い起こせば、半世紀前の1969年(昭和43年)1月、数寄屋橋で3坪の店を借りて、小さな一歩を踏み出しました。 なによりも多くのみなさまに支えられ励まされて、作り手とコレクターの方々との真剣勝負の臨場感を、執り持つ機会を与えていただきましたのは幸運であったと感じ入っております。 深いご支援の賜物と心より厚く御礼を申…
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井戸茶碗はどこから来たのか‥‥韓国古窯址を訪ねる

淡交社『なごみ』2019年1月号  大特集 茶人が愛した素朴のうつわ 高麗茶碗 なごみ一月号 P28~31 寄稿しました。その書き出しを… 井戸茶碗はどこから来たのか‥‥韓国古窯址を訪ねる 木立を渡る風や土の匂い……古窯址は果てしなく私のロマンを掻き立ててくれる。 うち捨てられた陶片から作り手の日常がみえ声さえ…
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丸田宗彦‥‥無類の逞しさで現代唐津を担う

古唐津と現代唐津の融合を見事に実現し、昨春には独立30周年の記念展を開催させていただきました。 そして今年は、当苑での個展が25回目を迎える節目となりました。 丸田宗彦唐津ぐい呑 丸田宗彦先生は1961年に黒牟田焼の窯元に生まれ、益子焼で修業して帰郷されて三年後、古唐津名窯の里・武雄に登窯を築いて独立。独立当初、民芸陶と唐…
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魯卿あん  【大芸術家 北大路魯山人展】

『魯卿』と号するようになった北大路魯山人35歳の時、鎌倉の円覚寺に連なる六国見山を背にした明月谷に茅葺きの田舎家を住いにして「北大路魯卿」の表札を掲げました。 北大路魯山人銀刷毛目徳利と志野ぐい呑 ここ京橋東仲通りに古美術店『大雅堂芸術店』を開店したのは翌大正八年五月のことです。 鼈甲縁の丸眼鏡をかけ、自ら蒐集した古美術品…
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曜変天目‥‥瀬戸毅己"The mystery of Yohen Tenmoku"

曜変天目の謎  ‥‥ 漆黒の釉面が光を浴びると瞬く星のような大小の斑点が現れてくる「曜変天目」。 素地は鉄分の多い灰黒色の陶胎。これに光沢のある紫黒の天目釉が厚くかかり、あたかも星が瞬くような瑠璃玉虫色の斑紋が表われることから「曜変」(曜=星輝くの意)と名付けられた。 風流数寄の道を探求した足利義政の「東山御物」にある美の…
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コレクターのまなざし…西岡小十

小さな容のなかに語りつくせないほどの大きな魅力をもっている“ぐい呑”は手のうちでやきものを愛でるのに具合が良いからでしょうか、多くのコレクターに愛されています。 西岡小十  絵斑唐津ぐい呑  朝鮮唐津徳利 実業家のN氏もこの酒器の魅力にとりつかれ、その厳しい鑑賞力をもって、近現代陶芸家の優れた作品を愛蔵されてこられました。と…
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西岡小十‥‥小次郎窯と小十窯

「古格を保った昔のままの土がいたる処にあります。心踊ります。明日から仕事にかかります。環境はよし、人情はよし、静かな中に清らかな高い響を周囲の風物から受けることができます。…中略… (唐津焼を)土地の人さえ知りません。骨董屋店を見てもカケラさえ見当たりません。完全に滅びてしまって、ただ、各所に窯跡らしい丘に高台など見られるくらいのもの…
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直木美佐‥‥内に茶心を包み込んだ楽茶碗

直木美佐さんの師匠は日本画家であり、楽茶碗の名手であった直木友次良先生である。 1903年、兵庫県神戸市に生まれ、日本画を描くかたわら義兄で陶芸家・江川拙斎の影響で楽茶碗の制作を始められた。63年頃より楽茶碗を発表、75年7月には船橋市松ヶ丘に築窯されて、日本画と楽茶碗を融合させた作品を発表された。渋谷黒田陶苑でも個展を開催されたこと…
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田中佐次郎‥‥純粋な芸術性を求める

 佐次郎作品を手にとると“芸術とは人である。人格である”と、つくづく思い知らされる。 たとえ粗放になりやすい土を使っても躍動感ある明快で小気味よき造形を創り出して、格調の高さを堅持するからだ。  五十数年前に燃えさかる焔をも感じさせる縄文土器に興味を持たれ、その発掘調査研究をされた。 さらに土に結縁する陶人として宿命づけられたかの…
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瀬戸毅己‥‥曜変天目の再現

品格のある華やかさがある曜変天目 作品はすべて瀬戸毅己の曜変天目 多くの陶芸家が挑みながら失敗を繰り返した曜変天目 瀬戸毅己の曜変天目を観たのは八年前、 試行を重ね、漸くみごとな「曜変天目茶碗」を創り出し満を持して発表させていただきます 『深味ある輝き』は胎土となる黒胎 電気窯やガス窯の安定性を求めるの…
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砧青磁・飛青磁・天龍寺青磁・七官青磁を焼いた龍泉窯・そして官窯「楓洞岩窯」

福建省との境にほど近い浙江省龍泉市内から眺める山々は素晴らしいの稜線である なんと標高1000m以上の山が800以上あり、市内の大部分(70%)は山地で占めているというのだ 古越磁や越州窯、南宋官窯などそのいたるところに青磁の古窯址がみられ、 なかでも浙江省西南部に位置する「龍泉窯」は、中国最大の『青磁』産地である …
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山田山庵‥‥松永耳庵を瞠目させる

並外れた才能、それを自由気儘に発揮し、展観する度に数寄者を驚愕させたほどの腕前であった 楽茶碗の名手・山田山庵先生……  85歳となられた平成3年に、ご自身が選びぬいた作品集『自撰 楽茶碗 山田山庵』を出版され、巻頭に挨拶文に載せている。 「昭和十年の春だったと思いますが、商用で名古屋へ行っているうちに、ちょいちょい立ち寄っていた…
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浜本洋好…初期の『斑唐津』に惚れた‥‥

陶芸の原点は「迫力ある原始的なもの」だと、売名行為を図ることをよしとしない浜本洋好先生。 15年間、唐津焼の窯元で修業されているが、30歳の頃、初期唐津の深遠な斑唐津に惚れて、岸岳周辺の古窯址を入念に発掘調査された。ここで唐津焼に適した粘土を掘って窯元へ売って独立資金を稼がれた。 頑固一徹な信念を曲げることなく清貧を苦にせず、豊かな…
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〝用の美〟の探究者 北大路魯山人

唯一無二の芸術家 北大路魯山人  路地の落葉や濡石の具合を確かめ、水の打ち加減から箒の用い方まで一つだって疎かにしない。 四季をいち早く感じ取り、蓮の露の一滴、葉に隠れる虫の音をこのうえなく愛しく思っていた人だった。 その細やかで清新な感性をもって、いつまでも色褪せない根源的な芸術を考究していた北大路魯山人は 他の追従を許さ…
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