カキツバタと山ツツジ‥‥魯山人の美意識④

明治19年、のちに日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)、そして文化勲章を受賞するなど唯一人、日本陶芸界のすべての王冠を受賞している富本憲吉が生れたこの年の5月、3才の房次郎を養母のもんは手を引いて散歩に連れだした。

自宅から子供の足でも2、3分で上賀茂神社の摂社である大田神社につく。鬱蒼とした深い緑に包まれた大田神社の周辺には昔から沼や沢が多く、平安時代から野性の杜若(かきつばた)の群生地として知られるところで現在、国の天然記念物に指定されている。
画像
嵐山吉兆に伝わる織部杜若長方鉢


 杜若と山躑躅(カキツバタ&山ツツジ) 


 「神山や大田の沢のかきつはた  ふかきたのみは色に見ゆらむ」
大田の沢は鎌倉時代の初頭に活躍した歌人の藤原俊成が詠んでいるほど由緒あるところ。
尾形光琳の燕子花図(根津美術館蔵)や八橋図屏風(メトロポリタン美術館蔵)の写生場所となったといわれる。
 大田の沢で緑の葉を従えて一斉に咲きそろった深紫の杜若を見て、
「綺麗や!」と立ち止まって感動する房次郎。その表情を見たもんは頷き、さらに房次郎の手を引きながら、社殿の左側の坂道を登りはじめた。
上賀茂神社の裏山にあたる神宮寺山へ細い道を登っていくのだ。現在は右手の住宅が建ち並んでいる。
転んではいけないと、足元をかばい必死に山道を登る房次郎は、もんが立ち止まったのでようやく顔を上げた。
そこには穏やかな春の陽光に映え、真っ赤な山躑躅が一面をうめ尽くしていた。
房次郎は二三歩駆け寄る。
「なんと奇麗なんだ!」と、カキツバタを見た感動も覚めやらぬ房次郎は躑躅の赤にも負けぬほど頬を紅潮させた。
このひとときの情景は房次郎にとって心をなごませてくれたのだ。

その後、折りにふれて、
「生涯、こんな美しいものを追い求めて行きたい」
と、その日の感動が思い出され、生涯の心の支えとなっていく。
「あの真っ赤な躑躅の色がわしの人生を支えてくれるようになった。わしが美を意識するようになった初めての体験だった」
のちに魯山人は幼い日の懐かしい光景を思い出しながら、このときの感動を語った。
画像
 山躑躅「色紙・軸装」 

魯山人窯付近の山には樹齢30年から50年の松が300本,そして百年を超す大木も十数本あった。昭和18年、海軍からの大量注文でこの松を燃料の薪にしため、伐採した松の林は丸裸となった。
魯山人は子供の頃、故郷でみた山躑躅を思い出し、ここに山躑躅を沢山植えた。自宅の慶雲閣から蓮池越しに眺められるように‥‥その後、初夏には真っ赤に咲き乱れる。その様を、来客も東屋から眺めることができた。
この頃、酔いにまかせ、利休箸をかじった即席の筆で描いた色紙である。


それは幼い時の薄幸を補おうとする天の配慮でもあるかのように、
そして躑躅のやさしい色合いが房次郎の心をゆさぶりつづけ、自然美を凝視し、深くかかわり、畏敬の心を持つようになる出発点となったのである。
もんは、洛北の豊かな自然を房次郎に堪能させたかったに違いない。
自然美を意識するようになったのは、心優しいもんのお陰であった。
幼年期を風光明媚な…京都で過ごせたことは、後の魯山人芸術の多面的才能を開化させる上で最も大きな役割を果たしたといえるだろう。
この山躑躅の美しさが房次郎に感動と希望を与えてくれたのだ。
このころが房次郎にとって一番幸せな時となったのだが、それも束の間のことだった。



◇黒田草臣 四方山話◇


《陶のもたらす美》Ⅳ 初めての窯と轆轤
~魯山人の後姿~① [序]上
 《陶のもたらす美》 Ⅰ 清々しい ―白磁 


黒田陶苑のホームページに戻る
※無断転載、再配信等は一切お断りします




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

面白い 面白い