北大路魯山人 於里辺ツツ花入 ‥‥ 魯卿あん便り 【4】

ペルシャや安南がルーツとされる緑釉の「織部」‥‥
最も日本人の精神の高揚した桃山時代の美濃地方に、はじめて登窯がもたらされた元屋敷窯から、一躍脚光を浴びる。
信長・秀吉・家康の三代にわたって仕えた武将である古田織部が大流行させた〝やきもの”。
江戸・明治・大正の世を過ぎ、いつしか織部が瀬戸で焼かれていたと思われていた。
ようやく、
昭和五年に美濃山中で志野などともに焼かれていたことが証明された。

画像
於里辺ツツ花入に秋草

こうして豊藏と魯山人、唐九郎などは多くの古窯址を発掘して、そのノウハウをえた。
とくに魯山人は「織部」にまつわるお道具だけの茶事を催すほどの、織部好きだったから、
登窯でその再現に取り組み、やがて「昭和の織部」を創りだした。
これによって昭和30年、文化財保護委員会から「織部焼」の国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)認定を文部技官・小山冨士夫から打診されている。
ところが、これをきっぱりと断り、翌年もまた拒否した。
魯山人は生涯、『無冠』を貫いていたからだ。(名刺にも肩書を書くことはなかった)
志野や瀬戸黒では荒川豊藏、そして鈴木藏、加藤孝造などがのちに認定を受けたが、
「織部」では、その後の60年間、指定された陶芸家は魯山人以外には誰もいない。

画像


魯山人は晩年に織部の緑を生かす「総織部」が多くなった。絵を施さないと単調になりがちの織部釉だが、魯山人独特の変化が気品を持たせている。
穏やかに立ち上がった轆轤目が、透けた織部釉のさわやかな余情、口縁は矢筈口に側面とは対比する荒々しさ、魯山人の指痕を感じ取れる個性的な耳がアクセントとなり、いつまでも見飽きない作品となっている。
魯山人の晩年、第53回目の個展出品作で、目利きといわれるで「安宅産業」が求めた由緒ある「於里辺ツツ花入」である。

画像
糸底といわれる畳付。その脇に魯山人のシンボルマーク「」の彫銘がみえる。
魯卿あん 黒田草臣



魯卿あんでは、下記の展示会を予定しております。
漆芸 画像 池田巖展

2015年10月5日(月) ~10月12日(月)
皆さまのお越しをお待ちしております。



魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地
 魯卿あん‥‥Rokeian画像定休日:日曜日・祝日

〒104-0031 東京都中央区京橋2-9-9    TEL: 03-6228-7704 FAX: 03-6228-7704
営業時間:11:00~18:00
 Email:rokeian-kuroda@jupiter.ocn.ne.jp



黒田草臣 BLOGこちら

しぶや黒田陶苑のホームページ戻る