黒田草臣

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zoom RSS 砧青磁・飛青磁・天龍寺青磁・七官青磁を焼いた龍泉窯・そして官窯「楓洞岩窯」

<<   作成日時 : 2017/10/26 16:23   >>

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福建省との境にほど近い浙江省龍泉市内から眺める山々は素晴らしいの稜線である
なんと標高1000m以上の山が800以上あり、市内の大部分(70%)は山地で占めているというのだ
古越磁や越州窯、南宋官窯などそのいたるところに青磁の古窯址がみられ、
なかでも浙江省西南部に位置する「龍泉窯」は、中国最大の『青磁』産地である

龍泉窯発掘画像「青磁」陶片


竜泉窯の西側は「天目」の項で紹介した福建省武夷山風景旅游区に接している
「龍泉青瓷博物館」によると、青磁の最盛期の北宋、南宋時代の龍泉窯一帯の住民は2〜3万人
その60%およそ1万5千人前後の人々が陶工として従事していたという

龍泉大窯画像


竜泉大窯は北宋時代中期までは浙江省東北部の上虞、慈渓などの越州窯の影響を受け、浙江省南部の温州市永嘉県などの甌窯、浙江中部の金華市の婺州窯などの影響をうけて同じような形の製品を作っていたが、釉調が灰色や灰白色の淡青釉の初期龍泉窯の特徴をもった五本の口を付けた多嘴瓶(五穀倉)や罌(おう・盤口瓶)などの明器が焼かれ、砧青磁などが焼かれた南宋代に飛躍的に質料ともに最も発展した青磁窯である

「萬声」や「馬蝗絆」などの名高い『砧青磁』は、きめの細かい胎土で薄く成形された「薄胎厚釉」(はくたいこうゆう)という空色を呈する粉青色釉青磁、美しい風格のある青磁だ

日本の国宝となっている『飛青磁花入』(大阪市東洋陶磁美術館蔵)は元代(1271〜1368)に焼かれた
元代から明代(1368〜1644)初期に焼かれたのは黄味のある沈んだ青緑色の『天龍寺青磁』のブランド名で日本で馴染み深い青磁
明末時代から清時代にかけては、透明な青緑色の光沢の強い釉で、貫入がある『七官青磁』が制作された。その製品は東南アジアをはじめ、イラン、トルコ、エジプトにも輸出され、日本でも莫大な数の「龍泉窯」の青磁が輸入されていた

画像
龍泉窯青磁酒会壷


私の子供のころ、鎌倉の材木座海岸の砂浜に、沢山の青磁陶片が散らばっていた
今日でも拾うことができるが、その陶片の角は波に波や砂に削られ、小石のように丸くなっている
浙江省で焼かれた青磁の製品を、寧波から出帆した宋船に積まれて、鎌倉の和賀江島で荷揚げされた
長い舟旅で幾多の人力を経て積み換えられる度に破損したため、それらを海に捨てたと考えられているが、
既に何十万という青磁の陶片が発見されている
鎌倉市大町衣張山遺跡から出土した青磁蓮弁花鉢(東京国立博物館)や青磁袴腰香炉(鎌倉円覚寺)に見られるような龍泉窯や婺州窯の青磁の破片であった
鎌倉時代から貴族や武士、僧侶などを中心に膨大な龍泉窯青磁製品が輸入されたことを物語っている

私が初めて龍泉窯に行ったのは1996年のこと。
画像琉田村から龍泉大窯方面を望む


龍泉窯では緩やかな山の斜面に沿って龍窯(りゅうよう/りゅうがま)が築窯されたようだ
単室の半地下式の寸胴な窯で、煙突はなく、窯尾に煙り出しが設けられている 
日本では蛇窯といい、丹波などでもおなじみだが、そのスケールが段違い
斜面に築かれた長大な窯の中を焔が上る様が龍に似ているから、この名をつけられたとも  
龍泉窯では宋代には8、90m級の長大な龍窯が築かれた
南宋の頃にはほとんどが、5、60mの長さで、幅は2,3m程の大きさであったというが、
1956年、杭州の郊壇下官窯が発掘されたその翌年、龍泉大窯が調査され、
1960年には大窯の龍泉窯七基と工房跡、そして近郊の金村で龍泉窯2基が発掘された 

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陶土を運ぶ(龍泉市の青磁工場・1996年撮影)

1973年(昭和48年)、韓国慶尚南道新安郡西海岸・木浦(モッポ)市で大発見があった
新安沖の沖合で日本船(全長28m、幅9m)が海底30mに沈んでいた
この船は中国浙江省慶元(現在の寧波市)を1323年に出帆して
日本の博多に向かったと考えられている

650年ぶりに引き上げられた船の積載品で最も多かったのは銅銭で数にして十万枚以上、26トンもあった
さらに南宋から元代にかけて制作された中国陶磁器22000点が発見された
青磁花入や水注、皿鉢など、龍泉窯の青磁が80%を占めていた
これらの海揚りの品々は以前、すべて国立光州博物館に所蔵されていたが、現在ではソウル国立中央博物館と光州博物館。そしてその時の様子を知ることのできる船のレプリカなどが木浦国立海洋博物館に分散されて所蔵されている)

同じころ、我が国に渡ってきたのが、龍泉窯の青磁輪花茶碗、砧青磁香炉、飛青磁花入などであった
中には引き上げられたと同類の龍泉窯青磁蓋付壺が、十四世紀前半に蔵骨器として使われいたものだが、
現在、神奈川県称名寺(金沢文庫保管)に所蔵されている

新安沖から引き揚げられたのは龍泉窯のほかに婺州窯の製品も1200点以上も含まれていた。
婺州窯は浙江省西部の金華市にある。ここは「金華ハム」で有名なところで、
杭州からバスで3時間ほど掛かった。宋代の渓里古窯址が樹木を切った窯址が饅頭山に残っていた。後漢時代にはすでに立派な焼物が出来ており、唐と宋の最盛期には婺州地区に100窯あったという。鎌倉の材木座海岸で今日でも拾うことができるのが、ほとんどが分厚い婺州窯のものだ。

白化粧のもや貫入のある、やや黄みがかった青磁釉などの大きめの皿鉢が多く焼かれ、西アジアからの注文が多く、宋代から元代には輸出が盛んに行われた。
ガイドが「黒い釉薬のやきものがある」というので、一人5000円を支払い案内してもらった。
天目(黒釉)も焼いていた抱弄口(ほうろうこう)窯のスケールは大きく、まるで建窯の窯址を視るかのようだった。
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抱弄口窯の物原・1996年撮影


龍泉窯の中で最も品質の高い青磁を生産したことで知られるのは大窯村地区の通称:龍泉窯大窯だが、
2006年、やや上ったところにある楓洞岩(ふうどうがん)という地点で、
明時代初期(14世紀末〜15世紀初)に宮廷用の青磁を焼いた窯が発掘された
明代には景徳鎮の染付などに押され、衰退したとされてきた龍泉窯の歴史を修正する発見であった

楓洞岩遠景画像
楓洞岩古窯址画像2012年撮影


発掘に携わった龍泉青瓷博物館と浙江省文物考古研究所・北京大学考古文博学院が共同で行った結果、
北京や台北の故宮博物院、トルコのトプカプ宮殿、イランのアルデビル廟などで見られる大型の青磁作品と同じような緑ががった青磁片が出土し、「永楽」など紀年銘のある窯道具や「官」字銘の資料も発見されことと、
文献に「明初に宮廷の命により、処州(当時の龍泉一帯の名称)に御用品の青磁をつくらせた」という記述があり、明時代の洪武・永楽年間に宮廷用の青磁製品を焼成した窯だと断定された

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青磁玉壷瓶 明正徳

文中の撮影:黒田草臣




魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地

 魯卿あん‥‥Rokeian
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 辻岡正美様の撮影





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