黒田草臣

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zoom RSS 井戸茶碗はどこから来たのか‥‥韓国古窯址を訪ねる

<<   作成日時 : 2019/01/14 13:18   >>

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淡交社『なごみ』2019年1月号  大特集
茶人が愛した素朴のうつわ 高麗茶碗

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なごみ一月号 P28〜31 寄稿しました。その書き出しを…



井戸茶碗はどこから来たのか‥‥韓国古窯址を訪ねる

木立を渡る風や土の匂い……古窯址は果てしなく私のロマンを掻き立ててくれる。
うち捨てられた陶片から作り手の日常がみえ声さえ聞こえるような高麗茶碗の古窯址を訪ねはじめたのは40年ほど前、街にはハングルより漢字の看板が多かった頃だった。
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松林が清々しい整備された『熊川古窯址』(2016年)


高麗茶碗を思う時、興味が尽きないのは茶趣深い井戸や三島、粉引茶碗が李朝初期に焼かれていたことだ。仏教の高麗から儒教の李朝へと国の理念も大きく変わったその時に、高麗時代では優遇されていた陶工の多くも賤民になり、弾圧を受けた僧も行き場を失った。素朴な作振だが品格ある高麗茶碗を誕生させたのは、生きるために陶工と有識者の僧侶が力を合わせ、人里離れた山間に窯を築いたからだと思う。

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2009年古窯址で陶片をみる


高麗茶碗の王者として日本には数多く伝来している井戸茶碗だが、韓国には美術館や博物館にも伝世品は一点もなく、古美術店にも陶片すら皆無だった。
柳宗悦は「それは朝鮮の飯茶碗である。それも貧乏人が普段ざらに使う茶碗である。全くの下手物である。典型的な雑器である。一番値の安い並物である。作る者は卑下して作ったのである。」というが、はたしてそうであろうか。
浅川伯教は「井戸茶碗の形式を見かけないのは、地方的な一部の窯で偶然できたこれらの型を、初期の大茶事にとりあげ、一時的に日本から見本を出して注文したのではないかと思う。」といい、小山冨士夫は「井戸は名物手にしても小井戸にしても、素地、釉調、作風がほぼ同一で、あちらでも焼け、こちらでも焼けたものとは考えられない。また、これが渡来した期間も、そう長くはなく、同じ窯で、ほぼ同じ時代につくられたものと推定している。」と柳宗悦の雑器説を否定している。たしかに喜左衛門、細川、有楽、美濃、蓬莱など典型的な井戸茶碗の作行は非凡な同一作者によって作られたと考えられる。
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熊川古窯址発掘品


朝鮮では食事の時、器を置いて金属スプーンで食べている。持ち上げるのはマナーに反する。井戸茶碗は高台が高く小さいので不安定だ。割高台や呉器のように祭器ではなかったかと思う。見つからないのは李朝初期に慶尚南道熊川付近の民間祭器だったものを茶碗に見立てて日本に招来させたのではないだろうか。
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なごみ P29






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