炎と闘う 田中佐次郎

武雄の金原京一は「斎明天皇期築窯説」という唐津焼起源の伝説を実証するための調査を大正十年からはじめた。

七世紀後半に即位した斎明天皇は「百済の仇・新羅を討つ」ため、中大兄皇子(のちの天智天皇)に四万七千人の兵と軍船一〇〇〇隻を百済救援のため扶余へ送くらせた。世にいう「白村江の戦い」である。

百済は我が国に仏教や須恵器の技術、科学、文字(漢字)など優れた文化を伝えてくれた友好国である。

そのころの斉明天皇が唐津焼を創始するはずはないが、須恵器の到来がこのような伝説を残したのだろう。

それでもこの金原の研究は大正から昭和にかけて「唐津焼」を古美術界注目の的となった。

陶芸家でも石黒宗麿、川喜田半泥子、北大路魯山人、小山冨士夫、加藤唐九郎、加藤土師萌などが古唐津の魅力に取り憑かれたのは知られるところだ。

 唐津茶碗 

われらの佐次郎先生もその一人である。

初期唐津の古窯址・岸岳道納屋谷を発掘調査して全長39メートルの大きな14連房の登窯址も確認されている。

“岸岳崩れ”で、かれら道納屋谷の陶工たちが山瀬に逃げ込んで窯を築いた。僅か二十数年ほどの稼働だが、その間に焼かれた、ほかの窯では得られない“幻”ともいわれる玄妙な古陶片に出会い、再興を決意された。

四百年以上放置されていた条件の整わぬ山瀬の山懐に一からの苦労をされる決心をされたのだ。

当時、常人の意想を超越した長大な半地下割竹式登窯を築窯することなど、唐津陶芸家の誰もが「無謀だ!」「キチガイ沙汰だ!」と噂した。

それでも先生は荒れ果てた原野に、鍬を入れ、五年以上かけて見事にやり遂げた、根からのやきもの好き、熱き男である。 

  斑唐津茶碗 

今や、巨象のごとき山瀬窯は大自然の中にあり、谷川のせせらぎ、暁天の夕映え、夜の星月をも佐次郎先生は独り占めにしている。

それらを享受しながら、鮮麗に描写した作品を創り上げている。やきものは“焼ききる”という唐九郎方式を信奉する直流を通しつづけ、豪放磊落な佐次郎先生の念力は悠々として邪魔するものは、よもやあるまい。

少なくとも室町後期から続く歴史ある岸岳唐津への執念は人一倍強く、新しき創意も桃山古唐津を踏襲する作境がうれしい。

今年はコロナ渦のため例年ほど外出されず、山瀬で悠々と構想を練っての作陶三昧である。

生涯をかけている茶碗作り‥‥その自信のほどは高台の力強さで計り得るし、その抱き心地は極めて快然として双掌にある。

                                黒田草臣


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