三輪和彦‥‥「エル・キャプタン」

鮮烈な感性に会話が広がる三輪和彦先生の白萩 三輪家の家伝によれば「永正年間(1504~20)、大和の国三輪の里の住人・源太左衛門を祖先とする」という。 元禄十五年(1700)藩命により京へ上り、楽一入と交流を図って楽焼を習得し、その後、四代休雪も修業のため京都へ上り、高麗茶碗に包み込む和風化を取り入れて三輪家の礎を築いた。 不…

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茶の湯…茶碗の参考書……やっぱり、名碗

「目の眼」という月刊誌にある 骨董入門のコーナーで、「入門者向けに茶碗の参考書になる本を…」ということで拙文を、、、 古美術商のすすめる参考書 ……やっぱり、名碗 「目の眼」七月号 通巻490号 今年は茶碗の展示会が続いている。 国立近代美術館での「茶碗の中の宇宙 一子相伝の芸術」という利休の愛した楽茶碗の世界を企画展…

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天目茶碗は北宋の徽宗皇帝によって‥‥木村盛康「傘寿」

なぜ、「建窯」は天目茶碗の故郷なのでしょう‥‥ 中国福建省建陽県水吉鎮周辺にある水吉窯・芦花坪窯・大路后門山窯・長乾窯・源頭坑窯・牛皮崙窯跡などが建窯の総称でその総面積は12万平方メートルという広大さの中に百を越える巨大な龍窯がありました。 なかでも大路后門山窯の龍窯は135,6メートルという長大なものでした。ここにはほかに晩唐、五…

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田中佐次郎‥‥芯に一本、強い我を秘めている

一握りの土塊が人の心により森羅万象を刻み、あらゆる感情を包蔵するものが、陶芸だと思い知らされたのは、35年前のことである。唐津市半田にある常楽寺の境内に登窯を築かれていた田中佐次郎先生(当時45歳)の陶房を訪ねた時からであった。 数年後、“幻の名窯”と謳われた山深き山瀬に半地下式15連房窯を築かれた。 さらには唐津のルーツでもあ…

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連休明けの『魯卿あん』の室礼……

連休明けの『魯卿あん』‥‥ 北大路魯山人 於里遍カゴメ花入 軸装:菖蒲 花:蛍袋とリョウブ 北大路魯山人書「陶」 伊賀花入  花:山芍薬・令法・矢筈ススキ 加藤唐九郎 唐津茶碗   菓子:大宰府梅園 『宝満山』 魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地  魯卿あん‥‥Rokeian 〒104-0031 東…

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ヨモギ蕎麦、そして有平糖で一服

今年もヨモギが道端に生えてきました。 新芽を積んで湯がき、純白の更科粉に打ち込みました。 変り蕎麦の中では、「ヨモギ蕎麦」が一番好きです。 ヨモギ蕎麦 お客様用のヨモギ蕎麦黒田泰蔵の白瓷高台皿に盛り付けてみました。蕎麦猪口は古伊万里です。 有平糖で一服 「有平糖(アルヘイとう、ありへいとう)とは、砂糖を煮て作られ…

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唐津 丸田宗彦…独立築窯三十周年記念展

丸田宗彦 … 開窯三十周年によせて  開窯されて30周年を迎える丸田宗彦の生まれ故郷は民芸陶の里・黒牟田である。 ご祖父は、昭和四年から黒牟田焼の再興に力を注いだ丸田寅馬(明治三十四年生)。 そのあとを継いだのはご尊父の丸田正美(大正十四年生)である。 昭和十七年、佐賀県立有田工業高校窯業科を卒業してのち、昭和二十…

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『大藝術家 北大路魯山人展』 … 魯卿あん

ここ東京京橋も2020年に向けて再開発が進み高層ビルの建設ラッシュです。 昨秋、32階建て 1フロア820坪のエドグランが京橋駅に隣接して完成しました。 それでも 魯卿あんがございます東仲通りは静かな街並です。 今年も4月14日(金)-15日(土)に 『数寄です、美術の街 東京 アート アンティ-ク』が日本橋・京橋を中心に開…

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金重素山 ‥‥ 火水土のご恩

「耀&#30412」と呼ばれる独創的な楽茶碗を最晩年に創り出した出口王仁三郎(1871~1948)は、 昭和23年1月、天界へと旅立った。 出口王仁三郎 耀盌 明治25年(1892)に綾部で開教した宗教法人「大本教」は開祖・出口なおを初代教祖に、書をはじめ、陶芸、織物、能楽など芸術を大事にしていたが、 王仁三郎…

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藤原雄 ‥‥器の中に“間”とか“遊び”

備前の伊部駅から瀬戸内海に沿って日生に向かうと片上湾が見えてくる。 海側にある耐火煉瓦や炉材の工場に遮られてしまうが、 その反対方向の急坂を上り詰めると藤原啓記念館と雄工房がある。 天気のよい日は豪壮な藤原邸の応接間から瀬戸内海に浮かぶ小島と穏やかな入り江が望め美しい。 藤原雄 備前窯変擂座花入 藤原雄は魯山人ばりの美…

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山本陶秀 ‥‥ 轆轤にかけた陶芸人生

明治39年、備前市伊部に生まれた山本陶秀は、燐家の金重利陶苑で職人たちが轆轤で制作するのに憧れ、大正10年に陶芸界に入った。 選んだ修業先は備前で一番大きい窯元だった黄薇堂で、入門した当日に轆轤台に座り、たちまち湯呑を十個、挽きあげたという。 昭和13年、京都の日本芸術院会員・楠部弥弌に師事し、14年には中国四国連合工芸展で優良賞を…

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藤原啓  ‥‥ 陶酔 無心 夢

藤原啓ぐい呑と徳利 JR赤穂線伊里駅の近くの工房から瀬戸内海の片上湾が臨める陶芸家として絶好の地へ‥‥ ここに藤原啓親子が窯や工房を新設された50年ほど前、まだ新築の香りが残る真新しい和室に通された。 私は床の間の棚に飾ってある片口鉢が気になった。 どっしりとした高台から穏やかに立ち上がり、厚みが一cmほどある口縁…

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金重陶陽は「備前の生き神様」そして「備前焼中興の祖」

1967(昭和 42 )年の春、一人の青年が金重陶陽と金重道明の門をたたき、中庭の見える居間に通された。 昼寝をしていた金重陶陽が、作務衣に着替えて現れた。 「やきものは教えられるものではなく、自らが感じ とらねばならない。 作品は生れてくるものだから、 本人の人間性を高くしなければ良い作品は生まれて こない」 と、正座して …

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現代備前の礎を築いた陶芸家たち

旧山陽道沿いに発展した備前の街を、はじめて訪ねた昭和42年の冬のことで、もう50年前になる。 煙突や松割木の山が妙に目立ったものの、伊部の街はひっそりとしたやきものの里にみえた。 この伊部の小さな街をくまなく巡っても窯元の数は二、三十軒ほどで、陶工たちは寒さにて耐えながら土を足で踏んで粘土をこさえ、薪を割っていた。 備前の街に…

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井戸茶碗が焼かれた 熊川陶窯址

「一井戸茶碗 是れ天下一の高麗茶碗 山上宗二見出して、名物二十、関白様に在り」と、『山上宗二記』に記され、あらゆる茶碗の王座を占めてきた井戸茶碗。 慶尚南道昌原(チャンオン)市鎮海(チネヘ)区‥‥ ここは朝鮮半島の古代には「伽耶」に属し、李氏朝鮮時代には熊川(こもがい)県といわれたところ。 熊川茶碗は、古くは「カカンド」とか「…

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井戸茶碗が焼かれたという井戸郷セミゴル[白蓮里]

毎年のように行っていた韓国古窯址散策は、「魯卿あん」の開店、そして韓国での「MERSコロナウイルス」流行があり、6年ぶりとなった。 今回は成田から釜山に入って河東、晋州、熊川、蔚山などの古窯址を巡る3泊4日の旅である。 平地でもマイナス10度ほどの寒い時、「しばらくは雪が降らない」ということで韓国行きをきめた。 ところが、春節…

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1929大聖寺『魯山人陶磁器大展觀』 そして長流亭

「徳川家に謀反の意がない‥‥」と、 築城や軍備拡張という武治の加賀藩を文化の加賀藩に政策転換をさせたのは加賀藩三代藩主・前田利常と五代藩主・綱紀である。 蒔絵、彫金などの工芸、お茶などを奨励し、京都から裏千家の千叟宗室を招き、同道した土師長左衛門を大樋村で楽焼を開窯させて初代大樋長左衛門とし、能登の穴水中居で鋳物業を営んでいた宮崎義…

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1929年の魯山人‥‥金澤美術倶楽部個展

昭和四年(1929)はウオール街の株価大暴落で世界大恐慌が勃発し、各地で労働争議が激しかった年。 日本では文化財の保存と活用を目的とした「国宝保存法」が施行され、宝物類3705件、建造物845件が国宝に指定されている。また大阪では日本初のターミナルデパート・阪急百貨店が開店し、東京上野では関東大震災で焼けた跡地に、地上8階、地下1階の…

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星岡窯(ほしがおかがま)を築いて爛熟期に向かう…魯山人

一木一草をも崇め寄り添い、美しいものに支えられている魯山人の姿を見て来た私には、残された作品に潜んでいる生命感あふれる創造力が、人を気持ちよく引き寄せて行くのではないかと思える。 篆刻や書道の名手と謳われ、美食倶楽部を設立するほどの料理道の達人といわれるようになった大正時代末、止めどなく湧きでる芸術性を創出するために鎌倉山崎に「魯…

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小山冨士夫‥‥離れ技の「種子島焼」誕生秘話

少しでも古陶磁や陶芸に関心を持つ人なら小山冨士夫の名を知らぬ人はいないだろう。 東洋陶磁学会委員長、日本工芸会理事長、日本陶磁協会常任理事などの役職のほか、出光美術館をはじめ、本間美術館、佐野美術館の理事。そして五島美術館、松永記念館、根津美術館、畠山記念館の顧問や評議員をつとめながら、世界を駆け巡り、多くの古窯址を発掘調査され、陶磁…

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