井戸茶碗が焼かれた 熊川陶窯址
「一井戸茶碗 是れ天下一の高麗茶碗 山上宗二見出して、名物二十、関白様に在り」と、『山上宗二記』に記され、あらゆる茶碗の王座を占めてきた井戸茶碗。
慶尚南道昌原(チャンオン)市鎮海(チネヘ)区‥‥
ここは朝鮮半島の古代には「伽耶」に属し、李氏朝鮮時代には熊川(こもがい)県といわれたところ。
熊川茶碗は、古くは「カカンド」とか「カカント手」ともいわれていることからも、現在の北朝鮮・咸鏡北道で焼かれたと思われる。細かい貫入が琵琶色の上釉に映える。鎮海区の熊川港から出荷されたから熊川茶碗というのであろう。熊川茶碗の特長はやや端反りの口縁、立上りは丸く膨らんだ椀形、見込に鏡、そして多くは土見せの高台で竹節を呈している.朝鮮半島南部で焼かれたと思われる高台まで釉掛けしたものもあり、土も多様だが、熊川港のあった鎮海区付近では焼かれていない。
熊川には十五世紀初めから十六世紀の中頃まで倭館が設置され、多くの日本人が居住していた。
文禄・慶長の役の時、秀吉軍が朝鮮で作った最大規模の倭城址があるが、
その後、日本の統治時代には軍港として着目し、日本軍国旗を象った町が造られた。
さらに日本帝国のシンボルである桜が大量に植えられ、現在では桜の名所となっている。
重ね焼きの高台(熊川陶窯址展示館)
鎮海市熊東面頭洞里〈現在は昌原(チャンオン)市鎮海(チネ)区鎮東面(チントンミョン)熊川(ウンチョン)頭洞里(トドンリ)〉の古窯址からプンチョン(刷毛目や三島)やペクチャ(白磁)などの陶片が発…