藝術の極地、美の最高‥‥花美術館の特集「魯山人」

あらぶる神に導かれ、頂きの奥深く、一滴が激流となり、 やがて緩やかな大河となる如く、自らの芸術性を昇華させた魯山人‥‥。 自らの眼を鍛えるため芸術を理解する各地の名士を巡り、 とどまることのない探究心と清新な感性を持って、つねに眼を閉じず、 いつまでも色あせない根源的な芸術を目ざした。 「自然は芸術の極致、美の最高である…
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藤原雄と蓮・細野燕臺と黒牡丹‥‥花を愛でる魯山人 ③

荒川豊藏や川喜田半泥子など多くの芸術家と交流のあった大森誠は、岡山屈指の文化人で、のちに岡山結核病院の院長になった人である。とくに北大路魯山人芸術を理解し、互いに兄弟のようにしていた。大森は岡山県の衛生部長をしていた昭和27年、魯山人揮毫の六曲一双 「いろは」金屏風を岡山後楽園に紹介した。 「いろは」の金屏風(167.7×373.…
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「花は一重で、半開きがいい」‥‥花を愛でる 魯山人 ② 

食にこだわり、芸術にこだわる魯山人だが、自然の花にも薀蓄がある魯山人のお話。 魯山人銀三彩鉢青花蛍袋   …野に咲く野菊を見て一向に美しさを感じないで、公園などで陳列される作り菊、すなわち「千輪咲き」などはある意味では美しいが、これは自然美を冒涜する人工美であり、「懸崖の菊(ケンガイギク)」というのも、上向きで育つべきものを無理…
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自然は平等なり‥‥花を愛でる「魯山人」 ①

美の源泉は「自然」にあるという魯山人‥‥ 毎年五月になると、洛北の故郷に咲き乱れたれる杜若と山躑躅‥‥ 幼いころの特別な想い出がある 魯山人作 於里辺八橋「杜若」長角鉢(嵐山吉兆蔵) 昭和27年5月、魯山人はイサム・ノグチを連れて故郷の上賀茂神社社家町にやってきた。 上賀茂神社を参拝後、子供ころにもあった門前の神馬堂のやき…
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扇面「春来草自生」‥‥魯山人の春蘭画賛 ≪魯卿あん便り≫

春來草自生「春来たりて 草おのずから しょうず」、或は「しゅんらいそうじしょう」… と読むのでしょうか? 魯卿あんの床に北大路魯山人の「春蘭」が描かれた軸を掛けさせていただいています。 自然美礼賛の魯山人らしい奔放な筆致の画賛「春来草自生」と軽妙な「春蘭」の絵。 扇面に描かれている春蘭の絵‥‥伸び伸びとした艶やかな葉の勢い、…
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石黒宗麿…生涯一野人・京蛇ヶ谷への道

「やきものに精神を凝める(こめる)ことが念願だった」と語った石黒宗麿‥‥。 「再現」という古陶の模倣を嫌い、精神性の高い芸術作品を創り上げた。 手廻し轆轤から、昭和7年7月に蹴り轆轤、そして脚を痛めた晩年には電動轆轤を使いこなすその冴えわたる轆轤技術で、独創的な作品を遺していく。 戦後間もなく、柿釉などの洋食器を鋳込みで試みた。…
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荒川豊藏…『十便十宜』蕪村の“宜暁”「染附四方飾皿」   魯卿あん便り

一日の始まりを心地よく告げるという『宜暁』(ぎぎょう)‥‥ 「夜が明けると大きな松の木の間から射し込んでくる。その輝きに満ちた朝の光は、池に反射し、白壁に美しい波紋を陽炎のようにゆらゆらと映し出してくれる。こうして夜があける暁(あかつき)が宜(よろし)い」と清の劇作家・李漁(り ぎょ)が詠みました。 これを基に与謝蕪村が十宜『宜暁』…
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石黒宗麿という陶人‥‥文人陶芸家の逸話

比叡山西麓の洛北・八瀬‥‥ ここが数え切れぬほどの引っ越しを重ねた 石黒宗麿の終の住まいであった。 石黒宗麿は宋瓷を熟知し、 徹頭徹尾その再現挑みながら 清貧に甘んじても尚、野の陶人になりきり、 創られたその作品は厳しい宋瓷とは全く違う 気品・品格を重んじる文人陶工だった。 「十何代‥‥‥‥」という世…
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小林一三と荒川豊藏 「呉須菱馬水指」

大阪池田市にある「逸翁美術館」では昨年春、小林一三の生誕140年を記念し、大名茶人・松平不昧に縁のある収蔵品が展示された。松江藩七代藩主の不昧公が、『雲州蔵帳』(うんしゅう くらちょう)として同家所蔵の約八百点前後の茶道具を収めた茶道具目録。それらの伝来や購入年、当時における評価額、購入金額まで記録されたコレクションとして名高い目録であ…
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2014 初夢初碗展 ‥‥ 魯卿あん 便り

皆様おそろいで、明るい春をお迎えになられたこととお喜び申しあげます 早いものでいつしか松の内も過ぎてしまいました 『魯卿あん』も、初めての新年を迎えることができました 皆様のおかげと感謝いたしております 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます 10日(金)より25日(土)まで 『2014初夢初碗展』 を開催いた…
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荒川豊藏…牟田洞窯と水月窯  「魯卿あん便り」

昭和5年4月6日から10日まで名古屋松坂屋で行われた「魯山人作陶展観」に荒川豊藏先生は窯主の魯山人先生とともに会場に詰めていました。豊藏先生は、展示会が終わると魯山人先生の許しを得て、従兄の富田繁昌氏とともに志野が焼かれていたと思われる美濃山中に出かけ、大萱の牟田洞で古窯址を発見されたのです。 日が暮れるのも忘れ、無我夢中で発掘された…
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大雅堂芸術店・魯山人‥‥「魯卿あん」便り①

大正6年(1917)、34才となった北大路魯卿(魯山人)は、髪を短く刈り、チョビ髭をはやしはじめた。  大正10年ころの魯山人(「美と食の天才 魯山人」 講談社ART BOOKより) この年、実業之日本社の増田義一社長に認められ、同社の刻字看板を制作した。その書体は六朝の字を研究して、広告文字としてデザインしたものだ。 …
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三色蕎麦/蒟蒻の昆布〆/酢豚‥‥おいしい器展

三色蕎麦 古染付皿「官人ノ図」 古伊万里そば猪口 蕎麦の実から15%しかとれない芯にある純白のそば粉 手前:これをつなぎを使わずに打った『御膳蕎麦』 奥:御膳粉に卵の黄身を和えて打った『卵切そば』 左:御膳粉に「もってのほか」という山形の食用菊を打ち込んだ『もってのほか蕎麦?』 いずれも、水だけで打った 蕎麦汁は、純…
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「大雅堂美術店」と「美食倶楽部」の跡地に「魯卿あん」の誕生

いつも、しぶや黒田陶苑へ格別のご厚情をいただきまして 厚く御礼を申し上げます 本日は新店舗開店をお知らせさせていただきます 「魯卿あん」入口 「温故知新」、「自然美礼賛」などを制作の旨として、また食の器の実作者として、人々を魅了させてやまない数々の芸術作品をうみだした北大路魯山人先生。 その類まれな美意識は私ども…
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天目「木村盛康」‥‥喜壽記念展

大阪の難波にある高島屋6階美術画廊で 「木村盛康 喜寿記念 天目展」が開催された   「新たな感動を未来へと繋ぐにない手となる天目の作品」へ 望みと夢を持ちつづけた  盛康先生渾身の作品が会場を埋め尽くしていた   平成25年6月12日(水)~18日(火)  素晴しい銀色の星紋があり、古来より油滴天目中最高のもの…
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長岡正巳‥‥伊豆の陶芸家「訃報」

富士山のみえる伊豆修善寺の山中にて作陶されていた長岡正巳さんが、 6月7日早朝に亡くなられた  昨年5月の個展と器はお元気だったのに   夏、大きなスイカをもって工房に伺った時、ひどく痩せていた 「食欲がなく、水しか飲めない」というので、 「病院に行ってしっかり診てもらわなくては、必ず行ってよ」と伝えたのだが‥‥  その…
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琉球漆芸「堆錦」‥‥沖縄で徒然に №30

梅雨入りした直後の沖縄で一週間滞在‥‥  強烈なスコールのような大雨で車が数台水没するほどだった   二日目、茶道の師匠に夏向きの棗を頼まれたこともあり、琉球漆芸を訪ね  工芸士の儀間真沙夫さんからお話を伺った   琉球漆器は、海外交易の盛んだった14世紀から始まり、 中国皇帝が琉球王国を任命する冊封により、その献上品とし…
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大事に使われた“やきもの”が好きです‥‥つれづれに 29

多くの芸術の中で“やきもの”ほど長い間、人々に愛されつづけてきたものはありません 今から約2万年前に焼かれたと思われる土器片が中国江西省の遺跡から発見されました    氷河期の厳しい気候に適応するのに、煮炊きのできる土器が重要な役割を果たしていたと思われるのです それまで最古とされてきた中国湖南省から発見された土…
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濱田庄司 「益子で育った民藝陶」‥‥陶芸家の逸話⑩

「師匠はない方がいい。ぼくも師匠はない。自分のやりたいことがやれる。 それが個性だ。河井寛次郎、バーナード・リーチらと友達になって今の自分になった。 師匠に三年ついて習えば、師匠から脱皮するには六年はかかる」 喜寿記念に刊行した『濱田庄司七十七碗譜』の茶碗作りの一文の冒頭で、 濱田庄司(1894~1978)はこのように回顧してい…
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酒器それは酔器‥‥つれづれに《28》

濡縁で宇野重吉と石原裕次郎が酒を飲み交わして  「…よろこびの酒、松竹梅♪」というCMが、お茶の間に流れた。   今から40年ほど前のことである。私が独立して陶芸品の店を開いて5年ほど経ってからのことで、 恰幅のよい二人の男性がご来店されてきた。   「テレビのコマーシャルに使う徳利とぐい呑を探している。大量に造られたものではな…
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