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zoom RSS 丸田宗彦‥‥大胆にして繊細な唐津

<<   作成日時 : 2016/04/14 22:06   >>

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桃山時代もおわりの頃のこと‥‥
「お茶碗戦争」ともいわれる文禄慶長の役で、
加藤清正とともに戦った鍋島藩の家老・後藤家信が慶尚南道金海の深海宗伝・百婆仙を中心とした千人近い朝鮮陶工集団を連れ帰ったといわれ、その証拠に武雄地区での古窯跡は約90ヵ所確認されている。
 彼ら朝鮮陶工が良土を見つけ出した竹古場山の麓にある黒牟田では絵唐津、刷毛目、黒釉などの生活用品が焼かれ、江戸時代その伝統を綿々と守ってきた。
ところが明治時代には60軒ほどあった窯元が、時代とともに変容の渦に撒き込まれ、昭和30年代にはたった1軒となってしまった。
 その一軒が昭和の初めに黒牟田焼の再興に力を注いだ丸田寅馬と、黒牟田焼を個性豊かな民芸陶へと導いた寅馬の次男・丸田正美の登窯だった。
放浪の天才画家・山下清が『放浪記』を書いた翌昭和32年に訪れ、正美作品に絵付けをされるなど陶芸ブームにのった黒牟田焼・丸田正美の名は全国に広まった。

丸田宗彦画像井戸黒茶碗


 丸田正美の次男・丸田宗彦は子供の頃から古窯址の物原が遊び場だったという。
竹古場山の麓から獣みちを登ると古唐津の陶片がザクザクあった。スケールの大きな錆谷や小峠など唐津焼の名を高めた古窯址である。
 益子と黒牟田で修業してのち、渡来陶工が見つけてくれた”土の宝庫”武雄で、「自らの陶の道はどうあるべきか」と思考し、独立とともに、「家業の民芸陶より伝統ある唐津焼をしたい」と、新たな答えを見出して内田皿屋窯を築窯した。胸に秘めた思いを古陶片から学び、子供の頃から親しんできた古窯址を巡り、粘土を探し歩いた。
 それゆえ、丸田の作品づくりは、土探しから始まり、窯つくり、釉薬もすべて自家製である。
鉄分の多い小峠の土を手始めに、名窯といわれる古窯址を調査しながら多くの土を探しだし、絵唐津のほか、奥高麗、粉引、そして独特の朝鮮唐津にも惹かれ、斑唐津や黒唐津に力を入れた。現在、誰もが認める唐津陶芸界きっての実力派となった。
 奥高麗を研究するうちに唐津のルーツでもある李朝陶にも目を向け、茶碗;の王者「井戸茶碗」にたどり着いた。今回はその井戸茶碗に引出黒の焼成技法をつかった『井戸黒』なる茶碗が登場する。茶の緑が際立つ黒を纏った井戸茶碗‥‥大胆にしてかつ繊細な創作を成し遂げたといえるだろう。
「やきもの創りが楽しい!」と、可愛らしい小壺は丸田宗彦の新境地の作品。
好きな道のために苦しみも楽しみに変える強靱な懐の深さが備わってきたのは頼もしい。


唐津 丸田宗彦展
時:2016年4月15日(金) 〜2016年4月26日(火)   ※21日(木)定休
所:しぶや黒田陶苑  am11:00〜pm7:00


Exhibition of Maruta Munehiko       April 15 to April 26 , 2016

第一週: 4月15日〜19日 酒器・食器 
第二週:4月22日〜26日 茶碗・花入・壷



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画像
画像
 辻岡正美様 撮影




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