嗚呼‥‥木村盛和先生①

私の尊敬する陶芸家が、また一人亡くなってしまった。
鉄釉(天目釉)一筋、80年近くも追求されてきた木村盛和先生である。今年の8月12日に肺炎で亡くなれていたのだが、奥様の昌子様も病床におられることもあり、公表は控えられていた。
福井新聞に「木村盛和氏をしのぶ」という記事が載ったと、福井在住の友人からそのコピーを送っていただいた。
福井新聞画像9月30日付


木村盛和先生は日本最大の工芸公募展となった「日本伝統工芸展」を主催する「日本工芸会」の誕生に石黒宗麿や宇野三吾らとともに陰ながら推進した実力派の陶芸家だ。
生まれは大正10年、京焼のメッカ五条坂。石川県加賀市生まれの父・繁氏は名工三浦竹軒の染附と上絵付師、母親も釉薬を乳棒で磨る仕事をされていた。
物心がついた時から登窯のある街で父親の後姿を見ながら育ったことで、昭和12年、京都市立第二工業学校を卒業すると、商工省が所管する国立陶磁器試験所入所して、陶芸家の道を歩むことになった。
試験所では職員として各地から送られてくる岩石や鉱物の耐火テストに従事し、鉱物からなる鉄釉(天目釉)の研究と素地の基礎的研究に着手された。
昭和17年1月から陸軍へ入隊。南支といわれた中国の華南へ派遣され、広東省へ、戦地に居ながら、その北隣の福建省には天目茶碗の故郷・建窯があり、「生きて帰れたら必ず天目をやりたい」と誓ったという。

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昭和21年春、厳しかった軍隊生活を終えて帰還され、戦後、京都の五条坂に於いて陶業「盛和焼」を開窯して独立。
自宅で制作し、近くの共同登窯まで板に載せて片手で運んだ。匣鉢などを使って窯詰めして、本焼された。
昭和39年には日本伝統工芸展に出品した『天目釉変わり皿』が優秀賞(NHK会長賞)を受賞、受賞作品は近代美術館買上。その年の日本陶磁協会賞も受賞するなど目覚ましい活躍をみせた年であった。

昭和41年、「山科清水焼団地」が造成され、日当たりのよい200坪の土地に移った。ほかの陶芸家に先駆けて、名古屋の業者に作ってもらったガス窯を導入した。この成功により、ガス窯普及における主導的立場となり、団地内にプロパンガスの供給タンクが設置された。
この窯から玳玻盞天目や深みのある油滴天目、さらに木の葉天目などを成功させて、重厚さを併せ持つ作品がうまれてきた。
清水焼団地に移られた数年後、私も独立したのをきっかけに、そのことを報告するためにお伺いした時、「頑張れ」と励ましてくれ、帰り際に見事な油滴天目鉢をお祝いにいただいたことが思い出として残っている。

‥‥あれから50年近くが経過してしまったのである。

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ご遺族から贈られてきたご遺作の鉄銅釉酒盃

木の葉天目誕生秘話&越前に移られた盛和先生のこと
木村盛和先生②につづく


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