常滑急須名人・山田常山

朱泥急須名人・山田常山

 ”朱泥茶注造り”の屈指の名家に生れた山田常山は、指先に全神経を集中させ轆轤を廻していた。

「絶対に尻漏りはしない急須」が、山田家に代々伝わる秘伝である。

 私が初めて伺った五〇年前(一九七〇)、常滑駅からほど近い常滑市前田の入り組んだ商店街には小さな映画館が目立っていた。

陶業に携わる職工さん目当てだったのだろう。

その一角にある自宅兼店舗の一階で自作の急須を商いしながら、轆轤を回されておられた。

農閑期に自ら田圃で採取した田土を店の裏にある自宅の庭で大甕の中に水を加えて撹拌して、静かに水簸した粘土に、ベンガラを加えて半年以上かけて甕の中で寝かして粘土を造る。そのため軒下には一〇個ほどの大甕がおかれていた。

急須五種

 こうしてできた常滑の粘りのある粘土を荒揉みし、ちぎりながら空気を抜き、菊練りして、一つの胴を造る分だけ手廻しの轆轤台にのせ、ベースとなる本体を作る。まず湯呑のように立ち上げてから腰のふくらみを作り、口つくりを箆で仕上げてトンボ(竹とんぼに似た直径や深さを測る道具)あて寸法を決める。

その後、蓋を挽き、細い口の注口や把手をパーツごとに極力薄く轆轤で成形して一、二日ほど半乾燥させる。乾かした各部をカンナなどで削り、注口と把手の角度は直角より、使いやすい八〇度につけ、茶漉しの孔あけは半乾きのとき、胴の外側から竹串で一つずつ開け細かな穴を開けてから胴に注口を取りつける。蓋のつまみは舐めて蓋に接着させ、これを胴体に合わせて微調整し、銘を彫り込む。

さらに三,四日乾燥させた後、仕上げをして一週間ほどかけて乾燥させたものを、奥様が水と布で磨きあげる。こうしてようやく窯詰されて焼成する。轆轤を挽く繊細な指先での仕事を、目を凝らしてみていた私は心震わせたのが思い出される。

「良く寝かし粘りの出た腰のある土を使い、轆轤は非常に薄く挽かなければあの線は出ない。道具はほとんど使わんで、親指と数ミリのばした爪で成形するから、全神経が集中する指先だけはとくに大事にする」と、ご自作の急須で淹れたお煎茶をいただきながら聞いていた。「お茶は上釉が掛かっていない炻器の朱泥急須が一番美味しい」といわれ、私も共鳴した。

前田の自宅ある電気窯で焼かれるのは、田土による朱泥、梨皮朱泥、朱泥の生地に二酸化マンガンを混ぜ込んだ紫泥や烏泥の急須など。「真焼(まやき)」といわれる自然釉の降りかかった急須などは、「共同窯で焼いた」といわれた。

現在、常滑散歩道の中でメインともなる大きな登窯の『陶榮窯』が、当時は稼働していた。この登窯で自然釉が程よく掛かる火前の場所に窯詰させてもらったという。

自然釉水指

 日本の高度経済成長のはじまりを告げる神武景気以後、人々に余裕ができて陶芸界でも少しずつ芸術性を重んじる時流が芽生え、上手の常滑急須のコレクターが出てこられた。常滑の登窯周辺にも住宅が多く建ち、煙害という公害理由で昭和四九年(一九七四)に陶榮窯は廃窯追い込まれた。常滑に残る唯一の共同の登窯が、公害問題で使えなくなったことは常山にとっては予想外のことであっただろう。

 “常山窯としての個人の薪窯をもちたい”との気持ちもあり、一九八〇年ころ、常滑の小高い丘にある夏敷(現:飛香台)の広大な林にある絶好の地に自宅兼工房を移された。しかも中部国際空港開港とともに近くの知多道路常滑IC開通というねがってもない場所であった。煉瓦を組み立てた登窯を次男の絵夢(四代目常山)と築かれ、その後、窖窯も築いた。

 中世の常滑で焼かれた三筋壺や利休好みの不識壺水指、小さな茶注や茶陶まで窯変や自然釉が野趣豊な醍醐味を与えた。

真焼茶注は不識壺を思わせる算盤型の胴に卓越した轆轤で口や手がつけられ、自然釉の降灰が崇高な趣きを感じさせている。

常滑の朱泥の土はねっとりとした田土を元にして、焼上げた素肌を滑らかにするために、この土を丹念に水漉し、さらに粘りを出すため、甕のなかで寝かす。初めは鉄分の多い山土を二五%入れていたが、昭和二十五年(一九五〇)頃から木節粘土に紅柄と長石を細かくして加えて朱色を発色させた。

 昭和三三年(一九五八)、第二次世界大戦後初となる大型国際博覧会「ブリュッセル万国博覧会」でグランプリを受賞した。会場には一〇〇〇坪の敷地に前川國男の設計よる建坪三二五坪の日本館の中庭に京都の鞍馬などから運んだ庭石で日本庭園も造り、山城隆一の展示デザインした「伝統をつぐ手」を表現した壁画デザインの中に山田常山作品が展示された。

梨皮紫泥茶心壺

 この年の秋、第五回日本伝統工芸展で「常滑朱泥茶注」と題した横手急須が『山田小常山』(二代目常山存命中の号)の名で初入選した。日本伝統工芸展で飾壺的な水注などの入選はあるものの、小さな実用品である急須での入選は難しいとされていた時代である。「常滑茶注」と銘打って入選を繰り返し、一二回展では朱泥大鉢と小鉢が入選した。三代目常山を襲名した翌年(一九六一)の第九回日本伝統工芸展より三代目山田常山として発表されている。

 常山は毎年開催されている日本伝統工芸展出品を目標にすることで、初代と二代常山が主に行っていた朱泥だけでなく、朱泥土に二酸化マンガンを混ぜ込んだ紫泥や烏泥(うでい)、砂礫を練り込んだ梨の皮のような梨皮(りひ)、白泥、藻がけ、何色かに使い分けた彩泥、そして真焼といわれた薪窯による自然釉や窯変などと土肌の領域を拡げ、

卓越した轆轤技術による形のバリエーションは広く、不識壺のようにソロバン玉のような算盤形や、鎌倉期の古常滑の壺や甕を思わせるような肩が大きく張った鎌倉形、そのほかにも阿古陀、野菜や果物をはじめ、身近にあるさまざまなものから着想を得た形などがあり、急須の蓋も林檎の蔕のように愛らしい工夫がなされた。煎茶具として用いる伝統的なものから、北欧のデザインに触発されたモダンなものまで、一〇〇種類以上を優に超える。


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この記事へのコメント

  • 王島将春

    はじめまして。福井市在住の王島将春(おうしままさはる)と言います。聖書預言を伝える活動をしています。

    間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めて下さい。ヨハネの黙示録6章から19章を読めば分かりますが、携挙に取り残された後の7年間の患難時代は、苦痛と迫害の時代です。患難時代を経験しなくても良いように、携挙が起きる前に救われてください。
    2021年03月06日 20:54